池上ちかこのエッセイ

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小野隆生コレクション展より第一回〜池上ちかこのエッセイ

小野隆生―オブジェと人物
 小野隆生の作品を長年見ていますが、最近しばしば考えることがあります。この画家の描くオブジェと人物の作品には、どんな違いがあるのだろう、と。小野の作品は、靴や帽子などオブジェを描いたものと、人物を描いたものに大きく分けることができます。その両方の作品を交互に見て行くと、それらの間には単純に「静物画」「肖像画」といった西洋絵画のジャンルに放り込んでしまえない「何か」が横たわっているような気がしてならないのです。
 オブジェと人物。私はある時、小野作品に対して、この双方に同じような眼差しを向けていたことに気付かされたのです。たしかに、人物を描いたものは、肖像画の体裁を成しています。でも、ある特定の人物の姿をとらえた、いわゆる肖像画とはちがってモデルがなく、その人物の性格や感情が見る側に直接的に伝わることはありません。そのためか、画家の頭の中で静かに熟成された人物像は、どこか凛とした佇まいの静物画(オブジェ)を思わせるのです。
 いつだったか、岸田劉生の作品をまとまって見る機会がありました。『麗子像』をはじめ多くの人物像が並ぶ中、あの有名な静物画『壺の上に林檎が載って在る』に行き当たりました。不思議なことに私にはその絵が肖像画のように見えたのです。「肖像画」のような「静物画」。小野とは正反対ですが、その境目の無さにおいては同じであるように思うのです。
                      池上ちかこ

「夏の日の午前の断片」

1991年
テンペラ・板
17.0x54.0cm
サインあり


「忘れていた日に」
1995年
テンペラ・板
140.5x100.0cm
サインあり



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