田中一光 Ikko TANAKA
1930年、蒲鉾の製造業を営んでいた商家の長男として、奈良市に生まれる。京都市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)図案科を卒業後、鐘淵紡績に入社。52年には産経新聞に移り、この頃、永井一正、木村恒久、片山利弘とデザインの研究会「Aクラブ」を作った。57年に上京し、広告デザインの「ライトパブリシティ」に入社。東洋レーヨンの広告では、向秀雄とプロジェクトチームを作り、一つの会社の宣伝広告全てを担当しデザインポリシーを確立していく、というスタイルを採用。日本の広告デザインの先例となった。

52年からは桑沢デザイン塾でグラフィックデザインの講師を務め、60年、「新しいデザインの時代において、各社の宣伝部を共同で持つ」という趣旨で、日本デザインセンターが設立される。亀倉雄策、原弘、山城隆一の各氏が中心となって、多数のデザイナーが参加する中で、田中もライトパブリシティから移籍。63年に独立、田中一光デザイン室を主宰。東京オリンピックでは、ピクトグラムや参加メダルの背面のデザイン(表面は岡本太郎)を手掛けた。2002年永眠。


「作品」
1970年代
スクリーンプリント
イメージサイズ:33.0×54.0cm
シートサイズ:50.0×65.3cm
AP
サインあり

「赤と緑」
1974年
スクリーンプリント
イメージサイズ:78.2×53.5cm
シートサイズ:84.0×59.0cm
Ed. 200(T.P.)
サインあり


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