第371回 生誕120年 瀧口修造展V Part 2
シュルレアリスム関連8作家とともに


2024年9月10日(火)〜9月21日(土)
11:00-19:00
※日・月・祝日休廊




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去年は瀧口修造の生誕120年でもあり、今年はシュルレアリスム宣言100年記念の年でもあります。世界各地でシュルレアリスム関連の展覧会が開催され、パリ・ポンピドゥーセンターの「SURRÉALISME」展では瀧口修造のデカルコマニーが出品されます(会期2024年9月4日―2025年1月13日)。

瀧口修造は1924年に「シュルレアリスム宣言」をしたアンドレ・ブルトンと文通し、日本でシュルレアリスム文献の翻訳や評論を発表するなど、日本におけるシュルレアリスム運動を牽引しました。

今年4月に「瀧口修造展V Part1」を開催しましたが、今回はPart 2として、瀧口修造が折に触れ論じたシュルレアリスム関連作家の版画10数点と、未公開の瀧口修造のデカルコマニーや水彩を約15点ご覧いただきます。

出品作家:瀧口修造ジョアン・ミロマックス・エルンストマン・レイハンス・ベルメールロベルト・マッタ、フランシス・ピカビア、マルセル・デュシャンパウル・クレー


瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
詩人・美術評論家・造形作家。富山県出身。戦前・戦後を通じた、前衛芸術の精神的・理論的支柱といえる存在。西脇順三郎を通じて知ったシュルレアリスムの紹介・普及に、生涯にわたり注力した。

慶應義塾大学在学中にA.ブルトン『超現実主義と絵画』(厚生閣書店、1930年)を全訳し、前衛詩の極北とされる一連の実験的な詩も執筆した。1931年に卒業後、36年頃まで映画製作所PCLに勤務する傍らブルトンらと文通し、シュルレアリスム文献の翻訳や評論を発表、また多くの前衛芸術家グループも指導した。37年には「海外超現実主義作品展」(銀座の日本サロンほか)を山中散生とともに開催した。

当時のシュルレアリスムは国際共産党と対立していたが、41年4月、治安維持法違反の嫌疑で福沢一郎とともに特高に検挙され、起訴猶予処分による11月の釈放後も保護観察下に置かれ、活動は抑圧された。戦後は「時代の証言者」とも評される多彩な活動を展開した。

読売アンデパンダン展(49〜63年)などの眼識のある展評により、若手作家から絶大な信頼を寄せられた。51〜57年、神田駿河台下の画材店竹見屋の依頼でタケミヤ画廊を運営し、208回の展覧会を通じ河原温、草間彌生らを輩出した。51年に北代省三、山口勝弘、武満徹、湯浅譲二らが結成した「実験工房」の活動も、命名者として後見した。

58年、ヴェネチア・ビエンナーレの代表・審査員として訪欧し、イタリアの彫刻部門代表L.フォンタナに絵画・彫刻の両部門で投票した後、ブルトン、M.デュシャン、S.ダリらと面談して帰国した。60年以降、執筆の重心を美術批評から展覧会序文へと移し、また自らも水彩やデカルコマニーなどの制作を開始し、個展を6回ほど開催した。

国立近代美術館運営委員(52〜64年度)などの公職を退く一方、赤瀬川原平の「千円札裁判」(65〜70年)では特別弁護人を買って出た。63年、架空の「オブジェの店」の開店を構想し、店名の命名をデュシャンに依頼すると、有名な女性変名「ローズ・セラヴィ」を贈られ、返礼に『マルセル・デュシャン語録』(後出)を刊行した。以降もデュシャン研究に従事し、心筋梗塞で没した。(執筆:土渕信彦)





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