瑛九展と若い人が瑛九について語ると聞いて、何はともあれ駆けつけました。何せ、かって瑛九について語り合った人の多くはすでに他界しました。そんなわけでいくらか孤立感にさいなまれている最中でした。
瑛九について人が語るのを聞いたのは、昨年のなんでも鑑定団以来です。この時は鑑定人の永井氏が瑛九を正確に受け止めておられて感心しました。
今回は東京国立近代美術館の学芸員大谷さんが語られました。
ときの忘れものの瑛九展にはフォトデッサンが多数展示されていまして、展示されている作品の向きについて話題になりました。
水彩や油彩とフォトデッサンの違いについて私の意見を述べたいと思います。
普通、絵を描くとき、画家は自分の立つ重力場において平衡感覚を働かせながら画面のバランスをとっていきます。セザンヌの高い水平線も、カンディンスキーのコンポジションもこの重力場の平衡感覚に依っています。これに対し、フォトデッサンの制作は暗闇の中で行われます。瑛九が赤色ランプを利用していたか定かではありませんが、たとえ使用していたとしても、ペンライトを走らせた痕跡は現像するまでわかりません。通常での制作に比べて、暗闇での制作は平衡感覚が働きません。無重力状態での作品に上下は定められません。
上下のはっきりしている作品もありますが、不明な作品も多くあるわけです。1936年のデッサンを購入したとき、ある作品に「これはどちらを上にしても良さそうだからサインを二つ書きましょう」と上下二つサインしてくれたことがあります。このデッサンは確かときの忘れものの綿貫さんに売却したはずです。当時、暗闇でのフォトデッサンと同様の状況を作ってデッサンを制作していました。それは、カーボン紙によるデッサンです。カーボン紙の上から線を引いてもその痕跡は見えません。次の線を引くとき、前の線に影響されることなく自由に引けます。
意識の世界で、バランスをとって絵を構成するのに比べて、すべてを無意識にゆだねる制作は自動書記に似ています。もし瑛九とシュールレアリズムとの関係を見いだすならこの制作姿勢こそが唯一の接点です。一般にシュールレアリズム絵画とされる作品は、古典絵画の情報と情緒に逆戻りしてしまいました。つまり、無意識の世界はこんな風ですと説明しているわけです。この過ちはサイケデリックアートでも繰り返されました。説明的に絵画を制作するのはたやすいのです。大正デモクラシーの吹き荒れる中で、たやすくて最先端を行っているという自負心も満足させてくれる説明的シュールレアリズムに殺到した画家は多かったのです。瑛九は明らかに別の道を進んでいました。
しかし、油彩画においては上下のリズムは明確です。見慣れれば一目でわかります。なれないと誤ります。天地逆さまに展示されたことが私の知る限り2回あります。二十数年以上昔のことです。鎌倉にある神奈川県立近代美術館で瑛九の作品が展示されていました。作品名は「みずうみ」50号です。学芸員に申し出て向きを直してもらいました。さらに、十数年前銀座の鎌倉画廊で瑛九展がありました。この時最終日の夕方初めて会場を訪ねました。手にしていたカタログで天地逆さまを発見していましたが、現場で確かめると、カタログだけでなく実際の展示も逆さまでした。このオープニングにはアイオーはじめたくさんの瑛九を知る人が出席したと聞いていますが、誰一人この過ちに気付きませんでした。最終日の最後でしたのでそのまま閉廊しました。
余談ですが、なんでも鑑定団の制作者の飯島さんに瑛九に関する資料を提供しました。この資料すべてに目を通し、「瑛九の芸術について一つも語られていない」と困惑していました。すべて経歴や出来事ばかりだというのです。瑛九の芸術についての語らいが今後増えていくことを期待してやみません。
2007年5月31日(かとう なんし)
*上記のブログ掲載後に、加藤さんから以下のような追伸が入りました。
「瑛九のフォトデッサンその天地左右」
ある画商の話を思い出して、ブログに後書きです。
ある画商が瑛九のフォトデッサンを入手し、それを東京国立近代美術館に売り込もうとしました。
美術館は瑛九夫人の鑑定が欲しいと言い出しました。そこで画商が都さんに鑑定を依頼すると、「作品は瑛九の作品に間違いありません。サインも間違いなさそうですが、瑛九がこんなところにサインするはずがありません。瑛九はこんなふざけたことはしません。従って本物という鑑定はできません。」
そのサインは画面の中央付近にしてあったそうです。私はその作品を見ていませんが、それはいかにも瑛九ならしそうなことです。もちろん美術館はその作品を購入しませんでした。
瑛九の絵の比重の中心は画面の中央よりやや上にあり少し左寄りが多いです。
晩年の水彩画に画面の中央よりやや上にポンチで穴を開け、裏に赤い色紙を貼ったものがあります。
これらを見てくるとサインが画面の中央にあるのはいかにも瑛九がやりそうなことです。
画竜点睛
2007/6/02 加藤南枝
*画廊亭主敬白/今回ご登場いただいた加藤さんは、昨年テレビの「開運! なんでも鑑定団」に瑛九の油彩大作「田園」(1959年 193.9×130.3cm)をひっさげて出演し、われわれを仰天させました。
そのときの評価は五千万円でしたが、所蔵者の加藤さんは平然としていました。
誰よりも瑛九を深く愛し、誰よりもその価値を知っているという自負があるからでしょう。
加藤さんは、私の恩人の一人です。
私が1974年に現代版画センターを設立し、直営店として1981年3月に渋谷・松濤に「ギャラリー方寸」という画廊を開きました。その開廊記念展が「瑛九 その夢の方へ」展でした。
そのときメインとなる作品を貸してくれたのが加藤さんでした。
当時加藤さんはリトグラフの刷り工房を主宰しておられ、私も木内克先生の石版画集を加藤さんのすりでエディションすることができました。
すばらしい見識をもつコレクターとの出会いが画商にとっては最大の宝であると、しみじみ思います。